最近、テレビや街のあちこち、特に若者の会話の中でカタカナ4文字に短縮して表現する言葉って多いと思いません?特にメディアでも「パワハラ、セクハラ」などから始まり最近は視聴者向けにドラマやそのほかのテレビ番組でも発信者側のテレビ局かが4時のカタカナにした名前で番組を売り込んでいる。この現象は今に始まったことでもなく、30年ほど前に生かすバンド天国、略して「イカテン」と以前からあったものだ。

確かにこの現象は日本語の特性と音を踏むという特徴から始まったものではないかと思います。もともと英語の単語の多くを日本語の単語として溶け込んでいったもので英語では動詞、日本語になった瞬間に名詞となりこういった単語が入り混じった文章を見るといささか不自然に感じてしまうのは自分だけでしょうか?

先週テレビを見ているときに教科書改訂の説明をしていた番組があり興味深く見ていました。その一つが江戸幕府時代に長崎でキリシタンを見分けた「踏み絵」である。今の教科書は絵を踏む行為を「絵踏み」と表現、踏み絵の絵のことを「踏み絵」と教科書で表現しているとのこと。これには大いに納得した!ここでちゃんと動詞と名詞を明確に分けている。これを読んでいる皆s魔のほとんどはどちらも「踏み絵」のみの表現だと思う。今までのやり方を考えていくと例えば的確に説明するのであれば「踏み絵」は、「イエス様が描かれた“踏み絵”」ということにでもなりうるのではないか。少々表現が長くなってしまうがこれが的確な表現であると感じます。

こういったように一部では正しい日本語を使おうとする動き、また片方ではマーケティングや流行りに乗ろうと省力、短縮化していこうとする動きが発生している。打ち消すどころか、短くなってしまった日本語の本来の意味などが飛んでしまい、誰が名詞や動詞、もともとの言葉を考えるのだろう?日本文化や日本語は恐ろしい程柔軟性に富んでいる。新しい造語は簡単に生活の中に入り込んでしまう。鎖国を行い日本の伝統やしきたりなどを守ってきたが特に戦後から目覚ましく日本がいろいろな意味で「新」日本となってきている気がしてしまう。封建社会やお家制度が決して正しいとも思わないが今はその文化の検地と体験を求め多くの外国人観光客が日本を訪れている。海外の国は比較的建国して時が余りたっていない国が多い中、日本は長い歴史と文化がある。今一度自分達がこれまでに捨て去ってしまったいいところ、社会的に不要だが今も残っているものを今一度考えてみるのはいかがだろうか。今までの二千年をこれからの二千年に伝えるため。将来の子孫の中に日本人としてと誇りを持ち続けていってもらうために。

※このコラムはゴミ拾いや日常でふと感じてきたことを不定期に載せていこうと  思います。コメントウエルカム!投稿したいかたもウエルカムです!